Vol.6 医学の言葉

今年から、各学部の横断的授業が開かれることになり、外国語学部の私も、三鷹の医学部3年生を対象に、講義を一回行うことになった。せっかく総合大学なのだから、このようなことはもっとあったほうがいい。外国語学部の学生に医学一般について聞かせてもらいたいと思うし、保健学部の先生が健康について総合政策の学部で講じてもいいと思う。三鷹と八王子は、今まで以上に交流するべきだと思う。

さて、講義当日、私が話したのは、理系の言葉と文系の言葉、その中間の医系の言葉ということ。

理系の言葉は、数字で語られる。安全「性」とか、可能「性」は言えるけれど、あくまでも安心や絶対の約束はできないのが、自然科学の信条であり誇りでもある。それはともすれば人工的であり殺風景になってしまう。一方文系の言葉は、人への愛や信頼を語るのだが、曖昧模糊として感情的であり、論理的な解説よりも身体的な納得を導こうとする。

医学の言葉は、臨床である限り、その中間にあって、その基礎はあくまでも実証的、科学的であらねばならないけれど、人を相手にする限り、わかる言葉、優しい言葉、人間的な言葉を使わなければならない。

理系の言葉と文系の言葉の双方に通じていなければ、いい医者とは言えない。説得力があるためには理系の能力が必要であり、信頼を得るためには文系の言葉がいる。近い将来、検査してその数値だけを見て判断してそれを告げるだけなら、コンピュータが完ぺきにやってくれるだろう。機械のできることを人間がする必要はない。どんなポンコツ自動車でも、人類最速のウサイン・ボルトよりは速く走ってくれる。安い電卓でも、暗算名人よりは早く平方根の計算をしてくれる。しかしそれしかできない。機械は辛抱強く、何度でも飽きることなく繰り返すことをしてくれる。機械は不平を言うことなく、危険な作業を大胆正確に行ってくれる。機械の中だけにいれば、それなりの安定が望める。

しかし、人は機械ではないし、機械ほど愚かでもない。人の使う曖昧な文系言語への冒険に、勇気をふりしぼって飛び出してほしい。人を相手にして、愚かな機械のような単純、確実なことは何一つないことを、若い医者を志す人には知っておいてほしい。

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