Vol.7 国松先生のこと

外国語学部の教授であった国松昭先生が亡くなられた。

近代文学がご専門で、自然主義文学の大家だった。東京外国語大学で長く教鞭をとり、その後、杏林大学に迎えられた。

きわめて繊細かつしなやかな感受性を持ち、いつまでも少年のような柔らかな魂を内面に保ちながら、外向きにはあくまでも豪放闊達、大きな声で語り、病気がありながら酒と煙草をやめることを潔しとしなかった。阪神タイガースのファンで、球場に見に行くと必ず負けると言って、しょんぼりされていた。一度、奇跡的に勝ったことがあったが、帰途階段から落ちて大怪我をした。毎年卒業記念パーティでは応援リーダーをかって出て、舞台上で用意の白扇をふり蛮声を披露した。その姿を感動とともに記憶している卒業生は多いことと思う。多くの学生に深く慕われた。自信喪失して博士論文についていき悩んでいる学生に、適切な時期に優しく声をかけて発奮させ、今彼は中国の大学の教授になって活躍している。怠惰な学生にはあくまで厳しく、どのような関係があろうと断固として落第点つけて動じなかった。任期の最後の数年、教務部長の重責を務められたが、それが身体を蝕んだのではないかと悔やまれる。弱音をいっさい漏らさず、あくまでも淡々と仕事をこなされていたが、それまでの先生を知る者には、あまりにも不向きなお立場に見えた。正義漢であり義侠心に溢れ、真の意味での男らしさをいつも見せていただけた。

私は東京外大の大学院で、国松先生の講義の末席を汚した者である。杏林では先生の人柄のおかげで、楽しく愉快な時間を過ごすことができた。元教師と学生という関係ではなく、仕事上の先輩、後輩として遇していただけて、とてもありがたかった。年二回の学会では、打ち上げの後、阪田先生とともに、いつも酒席に同席させていただいた。同じ喫煙者仲間として、唯一残された学校のタバコ部屋でバカ話をした思い出は、ここに書ききれない。あのタバコ部屋が廃止されて今はもうない。

長く療養されていたご母堂が亡くなられ、それを追う男の子のように、先生も逝かれた。ご冥福を祈ることしか出来ない。

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