Vol.12 恩を仇で報ずること

私の研究室は5階にあって、窓を開けていても、虫とかが上がってくることはめったにない。ところが先日、朝の空気を取り入れて気持ち良く過ごしていたところが、珍客の来訪、大型のスズメバチ。

八王子の山の中の教室では、授業中に大型の虫の入ってくることがあって、そういう時には韓国からの男子留学生が頼りになる。彼らはたち騒ぐ女子学生の中を平然とかき分けて、造作もなく叩き落として、株を上げる。

ところがこのとき、研究室には頼りない院生しかいない。庶務課に連絡して、来てもらうまで一時部屋から退避することにした。

やがてやって来てくれたのは、帽子をし、メガネをかけて、長袖姿の完全装備の課員さん。一緒になって、おそるおそる部屋に入ってみると、蜂君は、ゆらゆら揺れるブラインドの隙間に止まって、外を見ている。

そのままにしていたら、外へ飛んで行ってくれるかもしれないのだが、待っているわけにもいかず、また戻ってきてしまうかもしれないし、ということで、課員持参の強力殺虫剤のジェット噴射をお見舞いした。あっけないほどに、ころりとブラインドから滑り落ち、窓の外へと消えていった。

ほっとしたのだが、後で院生が言うに、あれは可哀そうだった。ちょこっとお尻を押してやったらそのまま外へ飛び出していったのではなかろうか、殺されちゃったのは気の毒だと。

たしかに、そうなのかもしれないけれど、もしもお尻を押していたら、蜂はお尻の針を押した人に毒針を刺し込んで、ひどい目にあわすにちがいない。恩を仇で報ずるとはこのことである。

蜂にとっても、そんなつもりはさらさらないのだ。親切にされたら、感謝したいと思うに違いない。しかし、そこが昆虫の浅ましさ。ひとから親切なことをされた経験が生涯ないのだ。周囲の悪意のなかで殺伐とした一生を過ごしてきているのだ。愛情深いお尻の一押しに、強烈な仕返しを思わずしてしまう。気の毒というか、憐れというか。

人間にもそんな人がいるかもしんないよね、と蜂が去った後、お茶を飲みながら思ったのだった。

一覧へ戻る