Vol.13 自分の顔

男の顔は履歴書だという。

中学生の時、「男は40歳になったら自分の顔に責任をもたなければいけない」というリンカーンの言葉を知って、その頃はまだ40歳には間があったから、少しは安心していたものの、小さな強迫観念がずっと残り続けていて、たとえば写真を撮られるのがいやになったりした。自分の顔に責任が持てないのだ。

床屋へ行くのは憂鬱だった。床屋の椅子に座ると真正面に巨大な鏡が磨かれてある。いやでも自分の生き方の至らなさを猛省させられることになる。だからなるべく床屋にはいかないことにして、仕方なく行くときには、すぐに目をつぶる。それでも床屋のおやじは、「どんなふうにしましょうか」などと鏡に映る私に向かって話しかけてくる。ひとしきり時間が経つと、「これでいいですかね」などと、自分が日ごろけっして見ることのない襟足が映っている鏡まで、ご丁寧に見せてくれる。どうでもいいから早くひっこめてほしい。

鏡を見るのは好きではないが、もっと悪いのは、鏡を見ている自分を他人が一緒に見ていることだ。恥ずかしい。この人はこれで自分の顔、つまり生活態度一般はいいと思っているのだろうかと問いかけられているような気がしてしまう。

そのように生きてきて、とっくのとうに、リンカーンの言う40歳を過ぎてしまい、あいかわらず自分のへなちょこさに日々直面しているのだが、或る時、救われたことがあった。アメリカのミステリーを読んでいたら「リンカーンのような醜男」という記述があったのだ。リンカーンは、アメリカの一般的基準からすると醜男なのだと知って、40歳云々の言について疑えるようになったのだ。

リンカーンは、恐ろしいほどのナルシストだったのだろうか。自分の生き方に自信があって、自惚れていたのだろうか。それとも私のように、自信喪失しながら毎日反省を繰り返していたのだろうか。後者だったらいいのにな、と思う。

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