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多摩川流域における生物指標を用いた氾濫リスクモニタリング手法の開発

地域総合研究所、データサイエンス教育研究センター 講師 橋本晃生 
データサイエンス教育研究センター センター長、教授 坪下幸寛 

気候変動による環境の変化は、私たちの暮らしだけでなく、自然のなかの生物にも大きな影響を及ぼします。データサイエンス教育研究センターの橋本晃生講師と坪下幸寛教授は、河原に生息する甲虫の仲間に注目。氾濫の危険に日々さらされている河原に棲む昆虫では、その環境に適応した形態や行動がみられます。それらの性質と氾濫との関係性を明らかにするため、「多摩川流域における生物指標を用いた氾濫リスクモニタリング手法の開発」として研究を行ってきました。

 

概要

氾濫は水辺に生息する生き物の姿かたちや行動の進化に影響します。環境の変化に応じて生物集団内の表現型が変化することを表現型可塑性といい、そのような性質をもつ表現型は、環境の変化を捉えるセンサーと言い換えられることもあります(※1)。
氾濫原に生息する昆虫の仲間にイッカク類(甲虫目:アリモドキ科)がいます。同じイッカクという名前の動物には、北極海に棲み、長いツノ(歯)をもつ大きなクジラの仲間がいますが、ここでとり上げる昆虫のイッカクは体長2mm程度と、とても小さいです。砂漠や砂丘、砂浜海岸、砂礫河原など、世界中の乾燥した環境に棲み、イッカクの名の由来となった大きなツノが胸部に生えています。このツノは、オスにもメスにもあり、砂に潜るためのシャベルのように使われます(※2)。実は、このイッカクの仲間の一種であるツノボソチビイッカク(以下、イッカク)には、飛ぶための翅(はね)が発達している個体(長翅型)と、翅が短く飛べない個体(短翅型)がいます。これまでの我々の研究では、この二型それぞれの集団内での割合は季節的に変化し、台風による降雨などによって氾濫の起きやすい夏季に近づくにつれて長翅型が多くなることがわかってきています。これはもしかすると氾濫を飛翔によって凌ぐための戦略の1つといえるかもしれません(※3)。
本研究では、この仮説をより広く検証し、さらに氾濫リスクの指標として翅の性質を利用できないか検討を進めています。

 

目的・実施計画

1.翅型の地域変異の解明
河川は下流に行くにしたがって支流と合流していくため、降雨時に増水しやすくなると考えられています。つまり、上流の河原は環境が比較的安定していて、下流へいくほど生息地が浸水によるかく乱を受けやすい可能性があります。イッカクの長翅型の出現が洪水回避のためならば、増水(氾濫)しにくい上流と増水しやすい下流では翅型の頻度は異なるかもしれません。なぜならば、昆虫にとって飛ぶことはメリットだけではないからです。飛ぶためには、翅を羽ばたかせるための筋肉とそれを動かすエネルギーが必要で、そのために繁殖力を犠牲にしていることが知られています。飛ぶ必要がない安定的な生息地では、飛ぶための翅を持たない短翅型個体が集団の多くを占める可能性があります。そこで、多摩川(東京都・神奈川県)において、水位変動のパターンが異なる上流・中流・下流の各地点でイッカクを誘引する罠(※4)で採集し、採集地ごと、季節ごとに翅型の割合等を比較します。

2.生息地選好性の解明
イッカクの仲間は砂地を好んで生活しているとされています。しかし、河原(氾濫原)の環境は単純な砂地ではなく、そこにはさまざまな植物が生育し、その地面は砂だけでなく泥や礫なども混ざり合い複雑です。その中でイッカクはどのような場所を好んで生息しているのでしょうか。下流域の調査区を、植生調査、動物の個体数調査などに用いられる手法の一つであるコドラート法によってコドラート(方形区)に分割し、各コドラート内の植物種、植生の被度、地質(砂礫の粒度等)の環境データを取得します。さらに、区画内に昆虫用の罠を仕掛けてイッカクの生息状況と環境との関係性を調べます。

3.翅型の画像識別手法の検討
イッカクは小さな甲虫です。甲虫の場合、飛ぶための翅(後翅)は硬い甲羅(上翅)の下に折り畳んで収納され、平時は上翅に隠れて見えません。本研究では、長翅型と短翅型の外見上の微妙な違いを識別する画像AIを構築して、両者を外見から識別する方法の確立を目指します。

 

令和5年度の成果

1.翅型の地域変異の解明
流域の異なる3地点(東京都青梅市、同昭島市、同大田区)で、罠を利用して昆虫の採集を実施しました。すべての地点で多数のイッカク類をサンプリングし、いずれの地点でも長翅型と短翅型ともにみられました(図1)。

図1. ツノボソチビイッカクの長翅型(上段)と短翅型(下段)の形態:左から背面図,背面図(右上翅を外した状態),後翅.スケール:1 mm.

2.生息地選好性の解明
下流域で野外調査を2回行いました(研究協力:山本薫博士(横須賀市自然・人文博物館)、中山博子氏(神奈川県植物誌調査会))。計60区画(30区画/回)について、生育する植物の種・株数等を記録しました。今年度は約80種の植物がみられました。各区画の地表面の砂礫等の状態はデジタルカメラで撮影しました(図2) 。

図2. コドラート調査の概要.調査区画の1例(左);地表面の状態を画像に記録する様子(中);撮影された地表面の砂礫(右)

 

3.翅型の画像識別手法の検討
翅型の画像識別AIを構築するため、計画2・3により得れられたイッカクの標本を、撮影条件を検討の上、画像解析用に写真撮影し(図3)、それぞれ性・翅型を記録(アノテーション)しました。

図3. 翅型識別AI構築用の学習用標本画像データ(抜粋).イッカク類の乾燥標本を、デジタルカメラのマクロ機能・深度合成機能を使用して背面から撮影.

 

達成状況と今後の展望等

多摩川流域の広域調査では、調査地点数を順調に増やしていて、イッカクの分布域も明らかになりつつあります。今後は、未調査の河原でのサンプリングを充実させ、より詳細なデータを集めることで、河川の氾濫とイッカクの翅型の切り替わりとの関係性について慎重に検証を進めます。イッカクの仲間は生活史が不明な部分の多い昆虫です。生息地の選好性についても、河原の環境は年々変化するため、次年度以降も継続的なモニタリングをしていきます。翅型の識別手法の構築については、撮影方法の検討を重ね、効率的に画像データを得られるようになってきています。しかし、AIの構築には多数の画像データが必要ですので、次年度以降も画像データの蓄積を継続します。

令和6年度には、本研究をさらに発展させた研究課題「陸生昆虫の可塑的な飛翔形質に基づく洪水リスク評価手法の構築」が、科学研究費助成事業 基盤(C)に採択されました。これにより、河原に棲む昆虫と洪水との関わりの一端を明らかにし、その理解と応用に貢献していきたいと考えています。

 

参考文献
※1 Nakayama H et al. (2014). Regulation of the KNOX-GA gene module induces heterophyllic alterationin North American lake cress. The Plant Cell 26(12): 4733–4748.

※2 Hashimoto K & Hayashi F (2012) Structure and function of the large pronotal horn of the sand-living anthicid beetle Mecynotarsus tenuipes. Entomological Science 15: 274–279.

※3 Hashimoto K & Suzuki D (2021) Environmental factors predicting dispersal mode of the wing-dimorphic psammophilous beetle Mecynotarsus niponicus Lewis, 1895 (Coleoptera: Anthicidae) in a sandyfloodplain: an exploratory analysis. The Coleopterists Bulletin 75(1): 1–8.

※4 Hashimoto K & Hayashi F (2014) Cantharidin world in nature: a concealed arthropod assemblagewith interactions via the terpenoid cantharidin. Entomological Science 17(4): 388–395.

 


 

地域総合研究所・データサイエンス教育研究センター 講師 橋本晃生
2011年3月 愛媛大学 農学部 卒業
2013年3月 首都大学東京 理工学研究科 博士前期課程 修了
2016年3月 首都大学東京 理工学研究科 博士後期課程 修了
日本学術振興会 特別研究員DC2、シミック株式会社(臨床開発総合職:統計解析)、
東京慈恵会医科大学 医学部 熱帯医学講座 研究員、高崎経済大学 地域政策学部 特命助教
などを経て2021年4月 杏林大学着任。研究テーマ・分野は衛生動物学、医療統計

 

データサイエンス教育研究センター長・ 教授 坪下幸寛
1995年3月 京都大学工学部精密工学科 卒業
1997年3月 京都大学大学院工学研究科精密工学専攻 修士課程修了
2010年3月 東京大学新領域創成科学研究科複雑理工学専攻博士課程修了
富士フイルム(株)画像技術センターで医用画像AIの研究・開発などに携わる。
2021年4月杏林大学着任。研究テーマ・分野は機械学習、深層学習、画像認識

 

 

 

※所属・肩書き等は報告当時の表記です

Date: 2024年6月17日

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