【トピックス】 長澤前学長の叙勲・学長退任祝賀会が開かれました
長澤俊彦前学長は、腎臓病・膠原病などの専門家として医療の分野で数多くの優れた業績をあげられるとともに、3期12年の長きにわたり杏林大学の学長を務められ大学教育の発展に尽くしてこられました。こうした診療・研究・教育への多大な貢献が高く評価され、今年5月7日(金)皇居において鳩山由紀夫前総理大臣より瑞宝重光章が授与されました。
長澤前学長の功績を讃えて6月13日(日)、帝国ホテル・富士の間で「叙勲および学長退任祝賀会」が催されました。
祝賀会には本学園関係者や医学界関係者などおよそ400人が出席し、盛大な拍手で迎える中を長澤前学長が令夫人とともにスポットライトを浴びて入場、きらびやかにしつらえられた壇上に並び、お祝いの会が始まりました。
式典では初めに発起人を代表して本学園の松田博青理事長が挨拶し、「本学医学部が発足したときから40年の長きにわたり種々ご尽力いただきました。この間、先生の飾らぬお人柄を慕って内外から多数の人材が集まり、教育・診療・研究の面でご指導いただきました。また学園の理事として大学・学園の管理運営につきましてもいろいろと尽力されました。このたびの叙勲は先生のお人柄と長年にわたる医学界、社会への貢献が総合的に評価されたものと思っております。これからは今までと同様に内科の診療をされる傍ら、いろいろな人に会って活力ある日々を過ごしていただけたらと願っております」松田理事長はこのように述べて祝意を表しました。
続いて来賓の祝辞があり、日本医学会会長で自治医科大学の高久史麿学長は「長澤先生が東大で入局された時、私が今でいう指導医だったようですが、どうも指導した記憶がありません、それほど先生は優秀だったということでしょう。当時厳しい先生の指導を受けましたが、そうした中で円満なお人柄が培われたものと思います。これからもお互いの趣味のテニスでお付き合いください」とユーモアを交えながら功績を讃えました。続けて、日本リウマチ学会元理事長で埼玉医科大学の安倍達名誉教授、日本腎臓学会理事長で岡山大学の槇野博史教授が専門領域での長澤前学長の功績を紹介し祝辞を述べました。
このあと、学生メンバーで構成する杏林大学弦楽四重奏団によってビバルディー作曲の「四季」より「春」が演奏され、会場に流れる美しい調べが式典に花を添えました。
祝賀会は、日本内科学会元理事長で東京大学の藤田敏郎教授による「乾杯」の発声に続いて賑やかな懇談に移り、ご夫妻の前にはお祝いの言葉を述べる人たちの長い列が出来、思い出話を語り合ったり、一緒に記念写真に納まったりして、笑い声の絶えない和やかな雰囲気に終始つつまれました。
最後に長澤前学長が「今、感無量です」と心境を語った後、謝辞を述べました。「東大時代の恩師沖中重雄先生は“明日の医学は患者にある”との名言を残されました。私は今日までこの言葉を旨として臨床医としての道を過ごしてまいりました。また、30有余年にわたりご指導くださった松田博青理事長は“あらゆることに王道を歩め”という言葉がモットーで、私もその言葉を実践して医学部長、学長の任務を全うすることが出来たことをこの場を借りて心から感謝します。日本腎臓学会を創設された佐々廉平先生はその会長講演で“私にはweltneu(世界初)というものは全くありませんが、japanneu(日本初)という仕事はなきにしもあらずです“と述べられましたが、私も若いとき腎臓病学とリウマチ病学の領域で日本では初めてとの業績をいくらか出すことが出来たことは幸いでした。私にリウマチ病学の手ほどきをしてくださった慶応大学の故本間光夫教授は内科学会の宿題講演で学問と臨床の道は“日暮れて道遠し”と結ばれました。私はこの言葉が好きです。これからも日がとっぷり暮れるまでひたすら自分の道を歩むつもりです」。長澤前学長は止むことのない学究者としての志を語るとともに会場の出席者に感謝の言葉を述べて謝辞を結び、2時間余りに及んだ祝賀会を終えました。