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講師
渡邉 俊
(WATANABE, shun)

経歴
2007年 早稲田大学教育学部英語英文学科 卒業
2011年 早稲田大学大学院教育学研究科英語教育専攻修士課程
2018年 早稲田大学大学院教育学研究科英語科内容学専攻 単位取得満期退学
2015年4月~2021年3月 大東文化大学、鶴見大学、杏林大学、明治大学(~現在)で非常勤講師
2017年4月~2021年3月 早稲田大学教育学部英語英文学科助手
2021年4月 杏林大学外国語学部専任講師

先生の専門は何ですか?

19世紀末から20世紀初頭くらいのアメリカ文学・文化研究を専門としています。19世紀末から顕著になる急速な社会の都市化は、古くから続く規範・因習からの解放という側面もありますが、国内外からの人々の流入に伴う様々な社会不安をもたらしました。具体的な作家で言えば、マーク・トウェイン、スコット・フィッツジェラルド、アーネスト・ヘミングウェイのような作家たちが、都市化という現象をどのように眼差していたのかを様々な学問分野を横断しながら研究しています。

なぜ、その専門に興味を持ったのですか?

不誠実に聞こえるかもしれませんが、「たまたま」だと答えておきます。小説や映画のようなフィクションの研究というのは、物語内で「たまたま」起こる出来事や事件について考えてみることです。物語は次から次へと起こる「たまたま」によって支えられるといってもいいかもしれません。
 とはいえ、物語の何もかもが「たまたま」だけで作られているわけではありません。物語の語り手が猫であるのも、ロミオがジュリエットに出会って一目惚れするのも、語尾が「だっちゃ」の宇宙人に突然求婚されて同棲するのも、急に疎遠だった父親から紫色の巨大ロボットに乗るように命令されるのも、「たまたま」や劇中の台詞だけでは説明しきれない原因が隠されている、と少なくとも僕は考えています。
 ですが、私たちが生きる現実社会だって、実は「たまたま」だらけで、原因不明でわけのわからない出来事は日々起きています。小説や映画よりも実は現実社会のほうが遥かにわかりにくいと感じます。おそらく多分、現実社会をもっと知りたいと思ったからこそ、フィクションの研究をはじめた、ということにします。アメリカ中心になったのは「たまたま」です。

先生の専門分野の「こんなところが面白い」を教えてください。

文学の研究で「誤読」という理論があります。これは文字通り、「読み間違え」というわけではありません。簡単に言えば、作者の意図や歴史の制限を超えて、読者による「誤読=新解釈」によって作品や、今までの価値観が生まれ変わるというような理論です。
 そもそも英語で書かれた小説を「誤読」するのは大変です。しかし、世界をひっくり返すような読みを提示することも「誤読」の魅力です。些細な読み間違えから、もしかしたらすごい解釈を生み出せるかもしれません。

大学で専門的に学ぶことでどんな未来が?

文学研究はタイムマシンに乗ってタイムトラベルをするようなものです。ただし、それは必ずしも偉い人の歴史をなぞるようなものではなく、文学の場合には名もなき個人の過去の歴史を探索するわけです。とはいえ、文学作品と接する時には、知っておいて損のないような過去もあれば、知りたくもなかったような過去の出来事との遭遇も多々あります。しかし、そのような過去の物語を学ぶことで、皆さんの現在の価値観は大きく変わるはずですし、皆さんの未来への道もより良きものになるのではないでしょうか?

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