教授
詹 満江
(ZHAN, Manjiang)

経歴
1980年 慶応義塾大学文学部文学科中国文学専攻卒業
1982年 慶応義塾大学大学院文学研究科修士課程中国文学専攻修了(修士:中国文学)
1985年 慶応義塾大学大学院文学研究科博士課程中国文学専攻単位取得退学
1988年4月 杏林大学外国語学部中国語学科専任講師
1995年4月 杏林大学外国語学部中国語学科助教授
2002年4月 杏林大学外国語学部中国語学科教授
2005年 慶應義塾大学大学院文学研究科中国文学専攻博士(文学)(現在に至る)

先生の専門は何ですか?

中国古典文学、特に唐詩です。卒業論文では魚玄機という唐代の女流詩人について書いたのですが、大学院に進学したら、修士論文でも女流詩人を研究することにテーマの狭さを感じて、李商隠という男性の詩人にテーマを変えました。昔、詩人はみな男性でしたから、女流詩人を研究するだけでは解明できることに限界を感じたのです。昔の男性詩人はみな政治家を目指しました。男性詩人を研究することは、当時の政治を研究することに通じています。当然、解明できることは広くなります。現代から見れば、中国の昔の政治家が詩人でもあったという状況は理解しがたいかもしれません。しかし、中国において、古来、文学が重んじられてきた歴史を知れば、文学の才能を持つ者が評価されたのも当然であり、そうした人物が政治に参画するのももっともだと納得できるでしょう。こうした考え方は日本にも影響していて、江戸時代まで、見方によっては明治時代になっても、政治に参画する人は漢詩が作れた人が多かったのです。なので、今では日本漢詩にまで研究の対象を広げています。

なぜ、その専門に興味を持ったのですか?

もともと中国ではなぜ男性だけが文学作品を作っていたのだろうと疑問を持ったからです。もちろん、稀に女性の文学者もいましたが、大部分の女性は文学に縁のない暮らしを送っていました。どのような女性が文学に関われたかといえば、多くは妓女だったのです。妓女はその職分から、男性の開く宴席に侍ります。そこで歌舞音曲を披露するのですが、一部の妓女は男性に雑じって詩を作ったのです。大部分の男性は、妓女の作る詩に関心を持たなかったことでしょう。しかし、李商隠など一部の男性は妓女と詩の遣り取りをしたのです。李商隠が作った詩の一部は、詩を作る妓女、もしくは詩を理解できる妓女に宛てられています。端的にいえば、恋愛詩です。昔の中国の詩に、恋愛詩は稀でした。男性同士の詩の交流に男女の恋愛が入り込む余地は少なかったのです。しかし、女性は存在するのですから、男性が女性を全く詠じないわけではありません。閨怨詩というジャンルがありました。「閨」とは女性の部屋、「怨」とは男性の不在を怨むという意味です。夫や恋人がいないことを怨む女性を詠じた詩が閨怨詩です。まるで女性が主人公の歌詞を男性が作ったり、歌ったりする日本の演歌みたいですね。なので、李商隠の恋愛詩は当時の中国古典詩の中で特殊な存在でした。そこに魅力を感じたのです。

先生の専門分野の「こんなところが面白い」を教えてください。

専門といっても、狭い意味でいえば、李商隠とか日本の漢詩人大沼枕山とかになってしまいますが、広い意味では中国文学ですから、中国文学の面白さを知ってほしいと思います。

「中国文学史」という授業では、昔の中国には様々な面白い文人がいたことを紹介しています。例えば竹林の七賢の一人である阮籍。彼が生きた時代は険悪な空気が満ち満ちていました。曹操の子曹丕が建てた魏王朝から政権を簒奪しようとしていた司馬氏が権謀術数を駆使して政敵を次々と倒していたのです。天下取りに勝つには一人でも多く優秀な人材を味方につけなくてはなりません。当然、阮籍のような傑出した人材は味方に引き入れたいのです。しかし、阮籍は司馬氏に抱き込まれるのは嫌でした。かといって、まともに逆らえば命はありません。嵆康のように刑死してしまいます。そこで彼がとった作戦はユニークなものでした。あるとき、阮籍の娘を司馬氏の嫁にという縁談が持ち上がりましたが、阮籍は六十日間も酔っぱらいつづけて、仲人にその話を切り出すきっかけを与えなかったということです。司馬氏もそれには参ったことでしょう。でも、さすがに酔っぱらっていたことを理由に処罰するわけにはいきません。阮籍の逃げ切り勝ちです。また、阮籍はうわべだけの礼儀を嫌いました。偽善の嫌いな阮籍は、俗物に会うときには白眼で迎え、率直で清い人物に会うときには青眼で迎えたといいます。この話から現代語の「白眼視」が生まれたようですね。奇異な言動で変わり者に思える阮籍ですが、一方ではとても慎重な人でした。彼を陥れたい人がどんなに挑発的に議論をしようと誘っても、阮籍は決してそれに乗らず、人の悪口も言わないし、政治に関わる発言もしなかったそうです。彼が詠じた「詠懐詩」の連作には、その本心が溢れています。嘘と悪意に満ち満ちた険悪な時代を生きる孤独感はどんなにか深かったことでしょう。もし今、誰も味方がいない孤独な闘いの中に身を置いている人がいたとしたら、阮籍の作品を読むことをお勧めします。この異代の友がきっとその人を励ましてくれることでしょう。こうして阮籍は人に陥れられることもなく、天寿を全うしたのです。あっぱれな一生でした。他にもいろいろユニークな文人がいますよ。昔の文人の文学作品は人生哲学の宝庫です。私たちに様々な知恵を授けてくれますし、人生を豊かにしてくれます。

大学で専門的に学ぶことでどんな未来が?

学ばなければそれまでのことですが、学ぶこと自体が人生を楽しくしてくれます。特に、読書の習慣は一生の宝ではないでしょうか。もし世の中に文字というものがなかったとしたら、どんなにつまらない世界になってしまうことでしょう。音声が表現する言葉も素晴らしいものですが、音声しか存在せず、文字がなかったとしたら、人間の表現にはきっと限界があったでしょう。よく「言葉には尽くせない」と表現しますが、心に溢れる感情とはそのようなものなのでしょう。でも、泣くとか叫ぶとか、涙を流すとか、そのようなダイレクトな感情表現が何よりも雄弁なこともときにはありますが、表現したいことそのものを表す言葉がかりに見つからなかったとしても、文字を使って核心の周辺を丁寧に描いていったとしたら、何かが人に伝わるのではないでしょうか。それが文学だと思うのです。現代社会においては、健康にも恵まれ、物にも不自由無く過ごせれば、他に何が必要かということになりますが、心の栄養には無関心なようです。人間を人間たらしめているものとはいったい何でしょう。人文学分野は人間存在そのものを考える学問領域です。その中でも、文学という豊かな世界があることを知って、豊かな未来を迎えてほしいと思います。

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