教室概要
細胞生化学教室では、細胞において生じるさまざまな生命現象について、分子およびシステムレベルで包括的に明らかにすることを目指して研究を行っています。すべての細胞は、生命の設計図であるゲノムDNAを持っており、そこから読みだされる遺伝子発現、さらにそれらを制御する転写制御状態を網羅的に計測することは、生命の身体を構成するさまざまな細胞状態を理解するうえで重要です。細胞生化学教室では、これらゲノム・トランスクリプトーム・エピゲノムを中心とした多層オミクスステータスを計測・解析することで、主に肺がんを中心とした固形がんの発生、進展メカニズムの解明に取り組んでいます。東京大学大学院新領域創成科学研究科附属生命データサイエンスセンターとの連携により、1細胞ごとの遺伝子発現・転写制御状態を計測可能なシングルセルマルチオーム技術、組織上で遺伝子発現解析を行うことができる空間トランスクリプトーム技術、より長いDNAを解読可能なロングリードシークエンス技術等、最新の大規模オミクス計測技術を活用した研究を進めています。また、杏林大学の基礎・臨床系のさまざまな教室との共同研究を推進したいと考えて議論を進めています。
教育の特色
細胞生化学教室では、教育活動として、医学部1年生の分子生物学、2年生の細胞生物学の講義を担当しています。医学・生物学の基盤となる知識を身につけてもらうことを目指しています。分子生物学では、DNAやRNA、タンパク質など、細胞を構成する重要な分子についてその機能や計測技術を中心に講義を組み立てています。また、ゲノム医療などにも用いられる大規模計測技術の原理を理解してもらうことを目指し、新しい技術の情報も講義に盛り込んでいます。細胞生物学では、細胞内の構成成分から細胞内外における機能まで、生物の最小単位である細胞の根本を理解するために系統的に講義を実施しています。またそれぞれの講義では、細胞の異常と疾患との関係性について触れることで、人間の身体において細胞が正常に機能している状態と疾患が引き起こされる原因を科学的に理解できる力を養うことも目指しています。
社会的活動
細胞生化学教室では、日本分子生物学会、日本癌学会等に参加し、成果発表を行っています。またさまざまな学会主催のシンポジウムに講師として参加し、技術や研究成果を紹介しています。
研究テーマ
細胞生化学教室では、シングルセル・空間オミクス、長鎖シークエンスといった大規模オミクス計測技術を駆使し、肺がんをはじめとする悪性腫瘍の発生・進展機構に関わる遺伝子発現・転写制御異常をネットワーク・システムレベルで捉えることを目指しています。がん細胞の分化制御ネットワーク、がん細胞と微小環境の相互作用、進展・治療抵抗性獲得機構を多層的に解析することで、がんの理解と新たな治療戦略の創出を目指します。
肺がんの発生・進展機構の解明
肺腺癌は、肺がんの中で最も頻出するサブタイプです。日本人肺腺癌患者の約半数はEGFR遺伝子に変異を持つことが知られており、分子標的薬治療が奏功します。しかし、治療標的となる変異が見つからない場合や、治療抵抗性が生じてしまう場合があり、発がん・進展・抵抗性の分子メカニズムを解明することは極めて重要です。
- 肺腺癌の多段階進展の解析:
早期の肺腺癌には上皮内腺癌から微小浸潤癌、浸潤癌へと多段階に進展するタイプがあります。ゲノム変異や遺伝子発現・転写制御異常などさまざまな情報を統合的に解析し、非浸潤癌から浸潤癌に至る肺腺癌の各進展段階における分子イベントを明らかにしています。また、粘液型や胎児型など非典型腺癌の進展にも注目しています。
- オルガノイドモデルの開発:
研究によって見出された発がん・進展の分子メカニズムを実験的に確認するために、iPS細胞由来の肺オルガノイドを活用して、肺がんの発生・進展を模倣するin vitroモデルを構築しています。遺伝子変異の導入や遺伝子発現の薬剤摂動により、肺の上皮細胞がどのような細胞運命をたどりうるのか解析しています。最終的には、肺がん進展予測プラットフォームを開発することを目指しています。
腫瘍微小環境の解析
がんはがん細胞だけでなく周囲の免疫細胞や線維芽細胞といったさまざま間質細胞と相互作用して成り立っており、これら腫瘍微小環境は、がん細胞の生存・増殖に影響し、治療効果にも大きく関係するといわれています。
- がん臨床検体の空間オミクス解析:
空間トランスクリプトームをはじめとした空間オミクス解析技術を駆使して、がん細胞および周囲の間質細胞の相互関係性を明らかにしてます。腫瘍微小環境の状態による新たながんの層別化、および、治療標的の探索を目指しています。肺腺癌や肺高悪性度神経内分泌癌などさまざまなサブタイプの肺がんについて解析を実施しています。
治療抵抗性獲得機構の解明
がん細胞は、自身の状態を大きく変化させ、周囲の環境に適応して生存しています。一部のがん細胞は抗がん剤などの薬剤投与下においても、その多大なストレスに耐えて、残存することが知られています。がん細胞のエピゲノム状態の揺らぎが引き起こす転写プロファイルの変化と、それに続く表現系の変動がどの範囲で摂動するのかを理解することは、こうした治療抵抗性獲得機構の解明に役立つと考えられます。
- トランスクリプトーム可塑性と薬剤耐性の関係性解明:
培養細胞をがんのモデルとし、シングルセルマルチオミクス解析から、がん細胞が薬剤抵抗性を獲得する過程を非遺伝的機構の観点で解明しています。
近年の主な業績
- Suzuki A. The early days of transcriptome sequencing and functional genomics. 2025 Nat Rev Genet 26(3):155. (Journal Club article)
- Takano Y, Suzuki J, Nomura K, Fujii G, Zenkoh J, Kawai H, Kuze Y, Kashima Y, Nagasawa S, Nakamura Y, Kojima M, Tsuchihara K, Seki M, Kanai A, Matsubara D, Kohno T, Noguchi M, Nakaya A, Tsuboi M, Ishii G, Suzuki Y, Suzuki A. Spatially resolved gene expression profiling of tumor microenvironment reveals key steps of lung adenocarcinoma development. 2024 Nat Commun 15:10637.
- Nagasawa S, Zenkoh J, Suzuki Y, Suzuki A. Spatial omics technologies for understanding molecular status associated with cancer progression. 2024 Cancer Sci 115(10):3208-3217.
- Haga Y, Sakamoto Y, Kajiya K, Kawai H, Oka M, Motoi N, Shirasawa M, Yotsukura M, Watanabe S, Arai M, Zenkoh J, Shiraishi K, Seki M, Kanai A, Shiraishi Y, Yatabe Y, Matsubara D, Suzuki Y, Noguchi M, Kohno T, Suzuki A. Whole-genome sequencing reveals the molecular implications of the stepwise progression of lung adenocarcinoma. 2023 Nat Commun 14:8375.
日本語の解説・書籍など
- 特集2:次世代の次世代シークエンス技術, 実験医学, 羊土社, 12月号 Vol.43 No.19, 2025
- 空間オミクス解析 スタートアップ実践ガイド, 実験医学別冊 最強のステップUPシリーズ, 鈴木穣/編, 羊土社, 2022